ガラスの街

今日から半月ほど仕事で北アフリカに行く。トランジットで読もうと持ってきた

数冊のポール・オースターのうちガラスの街を手に取ったら、何と最近読んだこ

とがあるやつだった。しかもここ数ヶ月で読んだと思われる。マッハで死んでい

る私の脳細胞。こんなことだから、ちゃんとブログに記録して、ついでに自分の

記憶野にも刻んでしまえと思ったのに、すでに数週間放ったらかしだし。。。。

ついこないだ16personalities.comで判定された、計画性を持たない=飽きっぽい

自分の性格を悔やむ。

悔やんでてもしょうがないので、色々な反省も兼ねてうろ覚えのガラスの街を紹

介します。正確ではないので、ご了承ください。

 

ポール・オースターの話は仕掛けが多く、中年男性のジワリとした哀愁があって

好きなんだけど、湿度の多い日本ではなかなか読む気にならない。だからまだ三

冊くらいしか読んでない。お話は主人公のところにポール・オースター探偵事務

所あての間違い電話が掛かってくることで始まる。それまでは、社会的には匿名

の探偵小説家として静かに暮らしていたのが、それを機に探偵の真似を実際に始

めてしまう。この辺り、オースター得意の入子形式が効いている。物語の作者と

登場人物という彼我のラインが二重三重に混濁し、曖昧になる。

探偵の振りをした主人公は、宗教学者父親に、神的言語を獲得するために13年

間暗闇と沈黙に閉じ込められたピーター・スティルマンという男の依頼、つまり

消息を絶った父がNYに戻ってくるので、再び彼を傷つけに来ないよう、尾行して

欲しいという依頼を受ける。この父親、怪人ぽい老人で、NYを毎日さまようんだ

けど、主人公はそのルートを手帳に記入して行く。

地図好きの人なら経験があるだろう、その日通った道を、家に帰って地図を見な

がら辿る喜び。その度に我々方向感覚に導かれし者たち(悲しい哉、その恩恵に

与らぬ者たちもいる)は、何かしらの発見をし、心を震わせる。この道はあの場

所につながっていたのか、こんなところに行ったことのない素敵な袋小路がある

(すぐそばを通った!)などなど。恩恵に与らぬ人たちから見れば下らないのひと

ことで終わってしまう密かな楽しみ。主人公も手帳のメモから再現された手書き

の地図をしげしげ眺めてるうちに、アルファベットが浮かんできた。まさに地図

好きが地図好きに送る夢のメッセージ!連日の地図を繋げるとバベルの塔と読め

る。一つの言語を有していた人々の建物。NYの摩天楼。神話時代と現代をつなぐ

老人の徘徊。老人を追ううちに、主人公は手帳にメモを取ることと、そして老人

が消失してからは老人の泊まっていた宿泊所を24時間見張ることに自身の全存在

を掛けるようになる。向かいの路地のゴミ箱に身を隠し、完全に自分の存在を消

して見張ることが、彼の実存となった。

数ヶ月後に鏡に映った彼は、すっかりホームレスになりきった自分を発見、追っ

てるつもりが自身が怪人の老人のようになってしまった。アパートも解約されて、

匿名で得ていた作家という社会性が、ほんとうに彼のものだという証も失われて

しまった。以前から繋がっていた「本物の」ポール・オースター(探偵ではなく

作家)に助けと理解を求めるが付き合いきれないと言われ、依頼人のアパートを

訪ねるがそこに夫婦が住んでいた形跡はなく、主人公は自らの世界に飲み込まれ、

文字通り消えてしまう。

 

途中で放り出されたキョーレツな登場人物たちのキョーレツなエピソード。広げ

っ放しのいくつもの物語は、主人公の妄想というリアリティをくっきりと描く。

あるいは常に現実とはオチの無い、妄想的なものなのだ。何ともアメリカ白人的

男性な話で、彼らは常に社会的に消えることを、恐れながらも求めているように

思う。ゼロかサムか。成功と敗北が極端で、表裏一体なハードさ、この茫漠とし

た読後感は、カラッとした砂漠(ドバイとかチュニジア)で読むに相応しいと思う。

でもこれに湿度を加えると安部公房だよな。