Old Hagsと夢

先日、20年ほど前に亡くなった知り合いの夢を見た。キャンプや山菜狩りなど、てるぞう(父)とその同僚を率いてキャンプを指揮していたリーダーで、物心つく前から知っていた。イベントには必ずいる、頼もしい親分だった。そして親分には同じく鉄火肌の奥さんがいて、パンチの利いた(そして後で知ったが裏にドラマを秘めた)ご夫婦を「G籐のおじちゃん、G籐のおばちゃん」と呼んで姉と二人で懐いていた。おじちゃんの方は病気で既に亡くなり、お子さんのいないおばちゃんの方は、お一人で暮らしておられると、だいぶ昔に親から聞いたきり。夢の中で、私はG籐のおじちゃんと一緒に、ひとりぼっちになったG籐のおばちゃんに会いに行く。つまりおじちゃんがお彼岸で里帰りするのに、私が付き合ったという体だった。バン(G籐のおじちゃんと言えば土禁のバン)に乗り込んだ我々は住宅街を彷徨し、最後に小さな古いアパートの前に車を止める。アパートにはとても年をとったおばあさんが住んでいて、まさか、と思いながらも顔をよく見ると、目がきれいな青灰色で、「ああ、このひとが探していた人だ」とわかる。いや別に、おばちゃん碧眼だったわけじゃ無いんですが、目がきれいな印象だったんで、こんなイメージになったんですね。ちなみにおじちゃんは私が子供の時のまま、つまり50代。おばちゃんに会えて、そしておじちゃんがおばちゃんの所に帰るのを手伝ったっていう夢。

そんな夢をしばらく思い返しているうち、夫と夢の主体性について話し合い(生きている二人、AがBの夢を見た場合、近代社会ではAがBの事を考えているせいだとされるが、伝統的にはBがAの事を考えているせいだとされる件)、夢の本を流し読み(夫が)。その本に出てきたのだけど、西洋のかなしばりってOld Hagsという老婆が寝ている人の胸の上に乗っかって起こるらしい。かなしばりって、でも若いころはけっこうあって怖いというより迷惑だったけど、最近はとんとありませんな。いや、そういやうちに、ひとの胸の上に載るやつら、いるんだけど…。金縛りは起きないけど、寝返りうてないし寝苦しいんだな・・・。

主体性については、心理学的に言えば、私がG籐のおじちゃんおばちゃんに会いたい、おばちゃんに会いに行ってなくて申し訳ないと思う気持ちが見させた「虚構」という事になるが、伝統社会的にはお彼岸のタイミングなどで、おじちゃん、あるいはおばちゃんが会いに来たと、彼らの存在を「実体」として解釈するわけだ。私はどちらかというと一般的には合理的な、というか短絡的な解釈をしてしまうのだが、夢に関しては結構(祖母が死んでからは特に)伝統的解釈をしているようだ。夢の中で彼らに会えた事自体は同じく私の体験だからね。